語り継ぐVERITA―校正者の独り言―

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呪術師の記憶
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    呪術師の記憶

     

     2月19日、両国国技館で「ジャイアント馬場没後20年追善興行〜王者の魂〜」が開催されたが、副題に「アブドーラ・ザ・ブッチャー引退記念〜さらば呪術師〜」ともあったように、同大会でブッチャー選手の引退セレモニーが行われた。本当に長い間、お疲れ様でした。

     来日回数は最多の140回超。日本で最も有名な外国人レスラーの1人と言っていいだろう。初来日は1970年。筆者がテレビでプロレスを放送のたびに見始めたのは1975年ごろだが、そのころすでに全日本プロレスでトップレスラーの1人になっていた。

     ニックネームは「黒い呪術師」。当時はスーダン出身ということになっていた(実際にはカナダ出身)。レスラーにはしばしばギミックのプロフィールが与えられる。また仰々しいニックネームも付けられた。白覆面の魔王、鉄人、人間発電所、鉄の爪、生傷男、荒法師、狂犬、人間風車、千の顔を持つ男……。これらが、試合を見る前からファンの想像をかき立てたのである。

     ボボ・ブラジルと共にトップクラスにまで上った黒人レスラーである。当時筆者は知らなかったが、黒人に対する差別は今よりもひどく、特に肌を合わせるプロレスではそれを嫌う白人レスラーもいたのだと後から知った。表には出さないが、ブラジルやブッチャーも苦労しただろうと察する。

     75年ごろは白いコスチュームを着用しており、流血戦になると赤い鮮血で染まるのがよくわかった。本人かスタッフかはわからないが、その効果を狙っていたのかもしれない。またそれゆえにテレビでは刺激が強すぎるので、後に黒などのコスチュームを着用するようになったとも考えられる。

     漫画「タイガーマスク」にも登場し(同作品には実在する多くのレスラーが登場する)、確か6人タッグでタイガーと対戦した。試合前には「アブドーラ、アブドーラ……」と「呪文」を唱えていたが、テレビで見る本物のブッチャーがそのような呪文を唱えているのは聴いた記憶がない。漫画ではタイガー第3の必殺技「タイガーV」に敗北を喫したはずだ。「ホゲエエエ」などと叫び、白目を剥いて、口からは泡を吹いていた記憶がある。

     

     そしてブッチャーと言えば、「吹けよ風、呼べよ嵐」である。

     当時はレスラーの入場時に「テーマ曲」を流し始めたころで、全日ではミル・マスカラスの「スカイ・ハイ」(ジグソー)、ザ・ファンクスの「スピニング・トーホールド」(クリエイション)などが人気を誇っていた。実際この2曲はかっこいいし、選手のイメージにもよく合っている。

     しかし、ピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」ほどレスラーのイメージを具現化した曲を、筆者は他に知らない。そもそも「スピニング〜」はファンクスをイメージして書き下ろされた曲だし、「スカイ・ハイ」も同名映画の主題歌なのだから、空中殺法を得意とするマスカラスに合うのは当たり前と言えば当たり前だ。

     ところが「吹けよ〜」は、ブッチャーとも悪とも地獄とも無関係なのである。この曲をブッチャーのテーマに選んだ人はまったく天才的である(日本テレビディレクター今泉・梅垣・桜井の3氏の誰からしいところまではわかった)。

     大槻ケンヂは子どものころからプロレスが好きで、ブッチャー→フロイド経由でロックに目覚めたらしいから、ブッチャーがいなければ筋肉少女帯はなかったかもしれない。

     

     繰り出す技は非常に少ない。投げ技や関節技は使わない。いわゆる地獄突き、頭突き、クロー、凶器攻撃、噛みつき、とどめのいわゆる全体重を乗せた「毒針エルボー」ドロップ……これくらいだ。それで観客を飽きさせずに試合を組み立て、トップを張っていたのだからさすがだ。間の取り方が絶妙なのである(これはよく比較されるタイガー・ジェット・シンも同様で、シンの場合は執拗なまでのコブラクロー狙いである)。

     地獄突きに関しては、テレビ解説者の確か山田隆さん(田鶴浜弘さんだったかも)が、コンクリートバンテージ(手指の先をテーピングでギプスのように固めてしまう)という用語を使って解説し、なるほどそれで突かれたら痛いだろうと思ったのを覚えている。一方、凶器シューズに関しては、あれはさすがに反則だろうとも、でも(テレビ画面で見る限り)あんまり硬くはなさそうだなとも思った。

     ブッチャーの試合は流血戦が多かったが、額がギザギザの傷痕になっていてすぐに破れてしまい、逆に言うとざっくり深い傷を負うわけではないので、それほど怖いとか気持ち悪いとは思わなかった。それよりも、ある試合で馬場に額を蹴られて、大きな体に似合わない、怪鳥のような甲高い悲鳴を初めて聞いたときの方が不気味に感じたものだ。

     またブッチャーは、タッグパートナーをうまく使う。ザ・シークは先輩格なのでちょっと違うが、全日ではマーク・ルーイン、キラー・トーア・カマタ、TNT、ジャイアント・キマラ、ジャイアント・キマラII、新日ではバッドニュース・アレンらである。

     

     印象に残っている試合は、大木金太郎との頭突き世界一決定戦(1975)、ジャンボ鶴田試練の十番勝負の第6戦(1976)、たぶんこれが一般には最も有名な、世界オープンタッグ選手権の決勝戦(1977。シークと組んでファンクスと対戦し、テリー・ファンクの腕をフォークで突いた)、ジャイアント馬場が左大腿骨骨折からの復帰戦(1991。馬場&ラッシャー木村&渕正信vsブッチャー&キマラI&キマラII)などなど。

     特に強烈なインパクトがあったのは、あまり語られることはないが、第5回チャンピオン・カーニバル(1977)公式戦初戦での、「猛牛」ブル・ラモスとの一騎打ちだ。

     当時の全日はざっくり言うと、悪役レスラーにも派閥(?)があり、ブッチャー軍とキング・イヤウケア軍が2大勢力で、異なる派閥のレスラーが同じシリーズに来日することは基本的になかった。が、チャンピオン・カーニバルだけは例外で、このときはブッチャーと、イヤウケア軍の副将格ラモスが戦ったわけだ。

     試合開始と同時に(あるいはゴング前だったかもしれない)、両者が勢いよくぶつかり合い、技らしい技はなく、しかし激しく殴り合って戦場はリング外に移り、場外でもそのまま殴り合いが続いて、程なく両者リングアウトのゴング(記録を見ると4分45秒とある)。この試合を筆者は当時のテレビ中継で1回見ただけだが、軍団のプライドを懸けたような激しい戦いぶりが強く印象に残っているのだ。

     トップ外国人同士の戦いでは、スタン・ハンセンvsアンドレ・ザ・ジャイアントがよく知られているが、このブッチャーvsラモスと、スティーブ・ウィリアムスvsコンガ・ザ・バーバリアンがパイプ椅子でがんがん殴り合った試合も、迫力では負けていないと思う。

     ブッチャーと、馬場やデストロイヤーとの対戦は数多く見ているが、多すぎて若干どれがどれだかわからなくなっている。しかし動画サイトで見られるたいていの試合は記憶にあるのがすごい。

     馬場とはリング上では激闘を繰り広げたが、それだけ多く来日して試合が組まれたということは、当然ながら信頼を置かれていたわけだ。他の外国人レスラーのまとめ役も担っていたようである。そして、背の高い馬場と横に大きいブッチャーとの戦いは、じつに「絵」になった。

     

     時は流れて、2018年9月30日。大相撲を引退した大砂嵐が、RIZINのリングで総合格闘家としての再スタートを切った。対戦相手はあのボブ・サップ。第1試合、大砂嵐から先に入場だ。入場テーマ曲は……なんと「吹けよ風、呼べよ嵐」である。なるほど「嵐」つながりか。しかも大砂嵐は正真正銘のアフリカ出身だ。

     試合は明らかにサップが優勢で判定勝ちしたが、大砂嵐も健闘したと言っていいだろう。総合なので凶器攻撃はあり得ないが、ブッチャーのように強くて怖くて愛される選手になってもらいたい(敬称略)。(command Z)

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